熊本市コールセンター「ひごまるコール」
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FAQ-ID:3276
2009年6月9日作成(2018年4月23日更新)
 横井小楠とは?
登録されている分類 [ 芸術・文化 ]
横井小楠とは、どんな人物?  
 回答いたします
横井小楠は、1809年に肥後藩士の次男として熊本城下内坪井に生まれ、藩校である時習館で学びました。小楠は、抜群の成績で居寮長となり、その後、藩費で江戸遊学を命ぜられます。帰国後、長岡監物、下津休也や元田永孚ら同志と共に「学問の本領は実践躬行にあり」と主張して実学派を結成しました。私塾「小楠堂」を開き、徳富一敬、竹崎茶堂や矢島直方らが入門しました。
小楠は47歳のとき沼山津に転居し、住まいを「四時軒」と称して塾を開きました。この頃から小楠は「攘夷論」から「開国論」に移っていきます。諸国からも多くの志士が小楠を訪ねて来ますが、特に坂本龍馬は3回も来熊し「薩長同盟」の推進などの相談をしています。
1858年に越前福井藩主の松平春嶽に招聘され、「国是三論」を草して福井藩の藩政改革に貢献します。また、春嶽が幕府政治総裁職に就任するや、そのブレーンとして「国是七条」を建言するなど、幕府の内政や外交政策に影響を与えました。
明治維新後、新政府の参与となり岩倉具視は、木戸、大久保、西郷ら22人の参与の中でも特に頼りにし相談しています。しかし、1869年正月、太政官からの帰途、保守派に襲われ絶命します。享年61歳でした。墓は京都南禅寺の天授庵にあり、遺髪は熊本に持ち帰られ小楠公園に葬られています。  
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■文化市民局 文化創造部 文化財課
 TEL:096-328-2740
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